株式会社計画情報研究所

COLUMN

Walkable City一考

はじめに

米国ウォーカブルシティの第一人者ジェフ・スペック著『Walkable City How Downtown Can Save America, One Step at a Time』の翻訳が2022年に出版された(邦題『ウォーカブルシティ入門』松浦健治郎監訳,学芸出版社)。私が都市に関する仕事を始めた1990年代、歩きやすさとは「良質な歩行空間の創出」であったように思う。代表的な手法である街路拡幅を伴う歩行空間の確保は人と車の輻輳を解消する効果はあったが、生活空間の生命力を弱める副作用もあったように思う。1996年から携わった輪島市中心部における街路整備では、拡幅事業をポジティブに捉え、住民参加、歴史的景観の現代的再生、商業空間の魅力向上、中心部全体への賑わい効果の波及など、当時考えられるまちなか再生の要素を複合的に試みた。

  • 写真左上:整備前の街並み。歩行空間が狭く危険(1996年)
  • 写真右上:街路整備後の街並み。歩行空間と街並み景観を同時に整備(2003年)
  • 写真左下:住民参加の議論から歩道空間を利用した市が生まれた
  • 写真右下:歩道はあまり広くせず、街路灯も低くしヒューマンスケールな空間を目指した

平成を通じ、モータリゼーションの進展と相反する形で、都市中心部の空洞化が進んだ。制度改革を伴う政策として、中心市街地活性化、公共交通の再生、コンパクトシティ、立地適正化等の取組が図られた。しかし商業機能は大型SCとネット通販が存在感を高め、業務機能は車の使いやすさを求め中心部から移転し、郊外住宅団地に人口が移動した。現在、多くの地方都市の中心部は生活空間としての機能低下、スポンジ化に苦しんでいるように見える。

ウォーカブルシティへの着目

米国の複数の都市においてダウンタウンの再生を成功に導いているジェフ・スペックは、企業や市民、若くて起業家精神を持った人を都市に惹き付けるための条件として、ストリートライフを楽しむことができるウォーカブルな都市であることが必須であると結論づけている。R.フロリダの創造都市論と共通点が多いが、若くて才能のある人材が集まる都市に企業が立地し、産業が発展し、生活機能も充実するという正のスパイラルである。代表的な都市であるポートランドやクリーブランドでは、アパートから5フィート(1.5km)以内に、レストラン・バー、商業施設、アリーナ・スポーツ施設、コンサートホールがあり、車を使わなくても質の高いストリートライフを享受することができる。またリタイヤ世代も郊外の大規模な家を捨て、多様な用途が混在する都市の中心部へ移住するケースが増えている。交通の便がよく、図書館や文化的活動、医療などの公共サービスが充実し、アクセスしやすいコミュニティに住むことがこの世代の生活満足度を保障している。

ウォーカブルシティという切り口で米国の都市政策が目標とする都市の在り方は、欧州の主要都市で実践されてきたものに近いように思われる。欧州の都市においてもモータリゼーションの洗礼を受けたものの、中心部において歩行者ゾーンの設定とトラムの再生が進められウォーカビリティを取り戻している都市が多い。近年(といってもコロナ前であるが)訪ねたサンセバスチャン(スペイン・バスク地方)の旧市街地は、中世からの景観と街路形態が残る空間(もちろん車は入れない)にバルと呼ばれる小規模な居酒屋が軒を連ねており、広場では音楽イベントやマーケットが開催され、近隣の住民やツーリストで賑わっていた。ヤン・ゲールは著書『人間の街』において、歩いて楽しい空間は約5秒ごとに変化に出会うことが重要だと経験的に述べている。そのためには店舗の間口は5~6mが望ましく、道と建物の接し方がとても重要になる。サンセバスチャンの旧市街地を歩く楽しさは、まず街路が狭く車が通行しないこと、多くのバルが道路上にテラス席を設け、物販の店舗も中の様子がよくわかる造りになっているなど歩くごとに新しい発見に出会うこと、そして各バルの料理がとても美味しいことである。思い思いのスタイルで過ごす滞在者の表情はとても楽しげだ。また、新市街地の街路もウォーカブルの条件を備えている。旧市街地と比べ幅員は広いものの、街路樹等で空間のコンパクトさを演出し、歩いて滞在する楽しさを生み出している。

  • 写真左上:サンセバスチャン旧市街地、このような路地が旧市街地一帯に広がっている(2016年)
  • 写真右上:中心部の広場で開催されていた音楽イベント、ストリートパフォーマンスも多い
  • 写真左下:新市街地の街路は幅員が広いものの街路樹等で空間をコンパクトに区切り歩く楽しさを創出
  • 写真右下:バスク地方のバルで食べることができるピンチョスは絶品

このようなウォーカブルさは私がこれまで訪れた欧州の都市において高いレベルで実現されている場合が多く、都市中心部が居住者、買い物客、ツーリストなどにとって快適で楽しい空間になっている。米国ではかなり前になるが、ポートランド、サンタモニカ、カーメル等を訪れ、欧州に続くように中心部の歩行者ゾーン化が進んでいると感じていた。また近年はニューヨークにおいてタクティカル・アーバニズムの実践例であるタイムズスクエアのプラザ・プログラム、エリア価値の再生に大きな効果を生んだハイライン・プロジェクトなどウォーカビリティを高めるまちづくりの成功を耳にしていた。しかしジェフ・スペックの指摘によると、米国の複数の都市において歩行者専用ゾーンは失敗に終わったようである。彼はそのことに触れ「似たようなデザインが、大きく異なる場所で同じような成果を生むと考えることは間違っている」と指摘し「ニューヨークと同じような住宅と歩行者の密度があり、車の通行が無くても繁盛する店がある稀な場合を除いて、米国では商業地域を歩行者だけのものにすることはその地域を死に追いやることである」と批判している。これは日本の地方都市にも当てはまる経験的な反省であろう。欧州の都市に滞在しウォーカビリティの魅力を肌で感じてしまうと、歩行者ゾーンの導入やトランジットモールの実現が、自分たちのまちにおいても中心部の再生に直結するのではないかと誤解しそうになる。しかし多くの都市では、車を適切に迎え入れることができなれば商業はさらに衰退し、空洞化が進んでしまうのが現実なのだ。

  • 写真左上:ポートランド中心部、車が排除されMAX(LRT)が走行する空間(1998年)
  • 写真左下:サード・ストリート・プロムナード(サンタモニカ)は歩行者専用化され賑わいをみせていた(2000年)
  • 写真右:オーシャン・アベニュー(カーメル)は平面駐車場(路外)を禁止しウォーカビリティを実現(2000年)

日本におけるウォーカブルシティ

先日、東京を訪れる機会があり谷根千と下北沢路線街を歩いた。根津神社のツツジは満開には少し早かったが、路地を通り谷中銀座でメンチカツを頬張っていると、日本のウォーカブルシティってこんな感じなのかもな、と思えた。谷中銀座はツーリストも多く、観光客向けのお店も立地しているものの、生活者のための商店街として健在だった。八百屋、魚屋、肉屋があり住民が買物がてらお店の人と話し込んでいる姿も多く見かけた。それを実現している大きな要因は周辺の高い居住密度であろう。入り組んだ路地(ここももちろんウォーカブル)では子どもが転げまわり、お母さんが立ち話をし、お年寄りがゆっくりと歩いている。たまにみかけた空き家では大学生がアートイベントを開いていた。単に居住密度が高いだけではなく、多世代の生活者が共存しまちが継承され再生していくサイクルがある。その息遣いが感じられる。

入り組んだ路地なら多くのまちにもある。そんな路地を歩いているとセンスの良いリノベーションや好感度の高いお店に出会うケースも増えた。しかし周辺を見渡すと明らかに高齢化、人口減少、スポンジ化が進み、生活空間としてまちが継承されていく力が弱くなっていると感じることが多く気持ちが沈む。だが、転換期を伺わせる兆しもみられる。Z世代は車を所有しないスタイルを好み、持ち家に対する関心も低い。高齢者は従来のコミュニティにおける相互依存度が低下し、便利な場所への住み替えに対する抵抗感が薄まっている。現役世代は持ち家志向ではあるが、教育環境に関心が高く通わせたい小中高があれば中心部であっても移り住む。そして魅力的な飲食はまちなかに根付いている。地方都市の中心部において生活空間としてのまちが継承され再生していく要素が揃いつつある。政策的な誘導がうまくかみあえば谷根千のようなウォーカブルで持続性の高いエリアが実現していく可能性は高いと思う。

  • 写真左上:ツーリストの姿も目立つ谷中銀座商店街
  • 写真右上:魚屋のおばあちゃんと話し込む男性
  • 写真左下:路地では子どもたちが道路に落書きし転げまわるように遊んでいた
  • 写真右下:人が行き交う路地、緑がよく管理されており生活の息遣いを感じる

下北路線街は、小田急の線路跡を利活用し歩行スペースを軸に都市生活を豊かにする機能が配された新しい空間である。パリのプロムナード・プランテ、ニューヨークのハイラインと類似性が高いプロジェクトだ。これだけの好条件の土地に、用途規制があるとはいえ容積率のほんの一部しか使わない事業は単体の土地利用としては成立し難い。鉄道会社と行政の思惑が重なった結果だと思う。ハイラインの成功は沿線エリアの価値を高め不動産価格は高騰した。下北路線街も単体の跡地利用としては捉えられておらず、下北沢・世田谷のエリア価値を高めるための土地利活用である。下北沢はもともと原宿、渋谷と比べ店舗の賃料や家賃が安かったこともあり若者向けの古着屋やライブハウスが立地し、独特のカルチャーを形成したエリアである。しかし近年は不動産価格が上がり、商店街にも全国チェーンのお店が増えるなど文化的危機が課題であった。一方の世田谷エリアは、居住地としての魅力が停滞気味で空き家が増えている。

シモキタエキウエから世田谷方面に歩き始めると、ハイラインを思わせる緑道(商業施設屋上)から「のはら」、「シモキタ雨庭広場」と緑の空間が続き住居併設型商店街BONUS TRACKにつながる。ここは新たなチャレンジや個人の商いを応援することがテーマであり、下北沢駅周辺の商店街と比べると時間的にも空間的にもゆとりや余白を感じる場所となっている。もともと下北沢が持っていた、お金はないけど時間がある若者が集い、古着屋の店主やライブハウスのオーナー等とわいわい時を過ごすことで生まれていたカルチャーの原点に回帰するような試みだ。さらに世田谷代田駅に近づくと保幼園、温泉旅館が立地しており、世田谷の生活文化を再ブランド化する力が感じられる。反対に東北沢駅方面にはイベント等に活用する「空き地」、高級感のある商業ゾーンreload、国内外のツーリストが集まるMUSTARD HOTELが立地する。ホテルのカフェバーではライブイベントが行われるなど、下北沢の文化力を活用しさらにそれを高める原動力になりそうである。まちに新しい要素を組み込み、アイデンティティを高め、エリア価値の再生につなげる。遊休地の使い方とまちの関係としてよく練られているとともに、魅力的なプレイヤーが揃っている。個人的には、ジェントリフィケーションを抑制しつつ、遊休地を活用した新しい空間がまちに刺激を与え、エリア全体の魅力度(文化度)が再生するような相互関係が生まれることを期待したいし、参考としたい。

  • 写真左上:下北沢駅からBONUS TRACK方面へ向かう商業施設屋上の緑道
  • 写真右上:BONUS TRACK横の通りの様子、人通りは多い
  • 写真左下:世田谷代田駅近くは和を感じさせる空間
  • 写真右下:下北沢駅周辺の商店街の賑わい、古着を買い求めるインバウンドの姿が目立った

おわりに

BONUS TRACKの本屋B&Bで『柚木沙弥郎 Tomorrow 大島忠智』(2022,BlueSheep)を買い、中庭空間でADDAのカレーを食べながら読んだ。近年ZINEと呼ばれる少量出版の本が人気である。本書は(かなりZINEに近いものの)そうではないが、本屋B&BにはZINEも多く置いてあった。大量出版を前提とする企画では実現しない本に惹かれる人が増えている。グローバルな経済活動では得られない価値を求める動きが大きくなりつつあるが、ZINEの人気はそのような動きを象徴しているかのようである。読み耽っていると柚木沙弥郎の次のことばに出会った。「僕はアートというものはまず人生を肯定することだと思っています。(中略)自分を肯定して、何か一つでも面白いとおもうことやものを見つける。それを積み重ねていけば、楽しい人生ができるんじゃないかと思うから。」けだし至言である。ウォーカブルシティを切り口に思いを巡らせてきたが、人は自分を肯定し、面白いものを見つけ、それを積み重ねることができるまちを選ぶようになると思う。

(米田)