洞町(ほらまち)・窯垣(かまがき)の小径
陶磁器を「せともの」と呼ぶのは尾張瀬戸が一大産地だったからというのは有名な話ですが、今の瀬戸市よりも広い産地が形成されていたようです。 時代によって産地中心が移動したこともあり、織部や志野もその流れの一つです。
斜面の町 洞町
瀬戸に洞町があります。谷あいにある斜面沿いの町で、登窯がたくさんあった場所です。昔は斜面を利用して登窯が作られたことや、近くで良質の陶土が採れたこともあり、瀬戸の中心的な場所でした。
窯垣の道
窯垣の坂
窯垣の坂
洞町に窯垣の小径があります。窯垣とは、不用になったエンゴロ(登り窯で焼く時、製品を保護するための鉢)、エブタ(棚板)、ツク(棚板を支える柱)を使った塀や垣のことです。 洞町は斜面の町なので、崩れないように窯垣で保護されています。
昔ながらの細い道、斜面を飾る窯垣、陶磁器の産地としての風景が色濃く染み付いています。
窯垣の小径資料館
四連房の登窯(今は使われていない)
洞町に行ったら窯垣の小径資料館を訪ねてみてください。以前、窯元だった建物を利用しています。ボランティアのおじいさんが、瀬戸焼の歴史、洞町の生活について、体験を交えて、瀬戸弁で話してくれます。とってもおもしろいですよ。
エンゴロやエブタなんて言葉も、そこで知りました。(そのときは聞き取れなかったけど)登窯の前に積まれている正方形の板がエブタ、円筒形の棒状のものがツクです。今は電気釜なので、これらは不要になりました。
瀬戸のおまけ
瀬戸の中心部には陶磁器のお店がいっぱいあり、私は滝川幸志さんの作品を一つ手に入れました。
商店街で食べた石焼ビビンバ風鰻ひつまぶし飯は、とても美味しかったです。
(YO)