スタッフコラム

「自動運転」化は地域にこそ必要!?


1900年代初頭、馬力や人力を使わずに自ら動く文字通り「自動」車がフォードによって大量生産されるに至った。一時的に馬も人も仕事を奪われ、悲しんだことだろう。
 
新しい技術革新は、産業や市民の生活を飛躍的に進歩させてきた。その一方で、交通戦争と揶揄された忌まわしい死因も造り出した。毎年1万人以上が犠牲となっていたが、まるで必要悪のように扱われていた感さえある。物事にはプラスだけではない、マイナスも見落としてはいけない。自動車社会がもたらした負の側面を忘れずに、同じ轍を踏まないように 次へ活かさなければならない。
 
今、人手不足の解消や安全性向上のプラス面に期待が大きい「自動運転」車。「自動」車の出現から100有余年後の進化形に、自然と心が踊る一方で、不安も浮かぶ。「制限速度遵守に耐えられないことは無いのか?」「あらゆる環境下で、万能でありうるのか?」「見落としているリスクに、盲目的でいいのか?」と。
 
それでも私は、自動運転化に期待感を強くしている。人手不足の解消、よく言えば「新たな雇用機会の産出」である。レベル5=完全自動化の実現性はさておき、常にストレスに晒される過酷な労働を余儀なくされているドライバー。大きな忍耐力と公共心、そして高い熟達技術を求められるも、勤めあげられる人は減ってきている。これがドライバー不足の本質ではないか?
 
2019年12月25日まで、群馬県で実施された路線バスの自動運転実験を体験してきた。JR上越線渋川駅と群馬大学荒牧キャンパスの区間を片道1時間で運行するバス営業路線での運行(週3日間、1日4便運行)であり、通常運賃で一般乗車できた。
 
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次世代モビリティ社会実装研究センター(通称CRANTS)敷地内の走行試験場
 
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自動運転バスの車内/乗務員はハンドル操作もブレーキ操作も行わない
 
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トラス橋を電磁マーカーに誘導されて走行
 
レベル2以上を実装しているシステムは、乗務員が運転していないことが信じられないほど違和感の無い 、一般道での加速、徐行、プレーキング、車線変更、右左折、そしてバス停正着などなど、まるで卒がない。技能オリンピックならば金メダル間違いなしである。(それでも人間の創発的な行動には足元にも及ばないと思うが・・)
乗務員は補助作業員で良く、物足りないかもしれない。
 
そういった自動運転技術の発達が、ドライバーの過度なストレスを下げる役割を担うことができれば、ドライバーの成り手の制約も緩和され、強いては雇用の受け皿を広げるのではないか? 運転が一向に上達しない私でも勤まる仕事になるのではないか?と、地味だが核心的な課題解決に繋がることへ期待をしてならない。
 
地域の公共交通の確保は、地域の存亡に直結する一大事である。自動運転化が地域の雇用を奪うのであれば本末転倒かもしれない。反対に、自動運転化が地域で生きる糧になるのであれば、両立する意味も生まれる。職業として選択する動機付けとなりうる。自動運転はあくまでも手段であり、どう使うかを考える知恵が試される。
(四藤)

2020年1月 8日 10:24