スタッフコラム

東北の縄文

縄文時代といえば、中学時代社会科で、「狩猟採集、遊動生活の時代」と習い、ターザン、
ギャートルズ・・・という乏しい固定概念を持っていましたが、縄文時代には、どうやら、その思い込みとは全く違う、自然と共生した栽培・定住生活が1万年以上も繰り広げられ、その生活はかなり洗練されたものだったようです。
今回訪れたのは、御所野遺跡(岩手県一戸町)、三内丸山遺跡(青森県青森市)のある北東北と北海道の縄文遺跡群。自然を尊重しながら穏やかに暮らした人々のあり方を世界に伝える貴重な遺産として、世界遺産の登録をめざしています。(H21年1月に世界遺産暫定リスト入り)
 
(金岡)
 

縄文の森が残る 御所野遺跡(岩手県一戸町)

駐車場から木製のつりばしを、しばらく歩きます。縄文の世界につながるタイムトンネルのようです。

L1160101.JPG
▲駐車場から博物館に繋がる木製の橋、「きききのつりはし」

そしていよいよ、縄文の暮らしを伝える博物館に到着です。縄文時代に住居の材として使われた栗の木を博物館外壁に使い、周りの緑とも調和しています。
地形を生かした建物配置、緑化により、博物館建物が遺跡群から見えにくくなっています。屋上も緑化されています。

L1160220.JPG
▲博物館の入口横の外壁

L1160208.JPG
▲遺跡群側からみた博物館。建物がまるで見えません。

復元した遺跡群の入口にも縄文の植生がそのまま活かされた緑が縄文へのトンネルとなっています。そして6haにもわたる遺跡群が広がります。
案内サインは設置されてないため、詳しい案内が聞きたい場合は、事前にガイドツアーへの申し込みが必要です。縄文の雰囲気を壊さない配慮なのでしょう。
 
L1160106.JPG
▲遺跡群の入口

L1160200.JPG
▲遺跡の周りに配置されたクリ林

遺跡のまわりには、クリ、コナラ、トチ、ウルシなど落葉広葉樹林の自然がそのまま残っています。季節の移ろいが感じられると同時に、これらの樹木は、縄文時代の貴重な食料であり、燃料であり、建築材であったそうです。また、アケビ、マタタビ、サルナシなどの植物は果実酒に利用され、つるは、カゴやポシェットなどの編み物に使われたそうです。さらに、土偶や土器、櫛や首飾りなどに栽培したウルシを塗るという装飾まで行われていたそうです。

L1160199.JPG
▲復元された住居群

御所野のムラは、800棟を超える竪穴住居跡が見つかっています。それらは、東西に広がる小高い丘に、東むら、中央むら、西むらとして位置しており、中央むらには、墓が環状に残っています。死がムラの真ん中にあり、今より、ずっと死と暮らしが近かったようです。

住居の中には、焼け落ちたまま残っているものもあり、全国で初めて土屋根の住居が確認されたことが特徴です。また、消失した住居は、わざと火をつけて燃やしたのではないかといわれています。何のために縄文人が住居を燃やしたのかは謎のままです。

L1160196.JPG
▲復元された土屋根住居
 

縄文の暮らしに思いをはせる 三内丸山遺跡(青森県青森市)

三内丸山遺跡の博物館は、特産品の販売スペースやレストランスペースが併設されており、まるで道の駅のようなにぎやかさです。なんと入館は無料です。

L1150986.JPG  L1150980.JPG    ▲博物館入口                                      ▲特産品物産販売スペース

約1時間おきにボランティアガイドによるガイドツアー(予約は要りません)が実施されていて、早速参加してみます。
三内丸山遺跡は、550棟もの竪穴住居、掘立柱建物跡、遺物が捨てられた谷、森戸、墓、粘土採掘穴、貯蔵穴、道路跡などが確認されており、縄文人のムラでの暮らしぶりに思いをはせることができる遺跡です。
 
L1150992.JPG
▲ガイドツアーのようす
 
三内丸山遺跡で、特徴的なのは、大型堀立建物跡ではないでしょうか。6本の直径約2メートル巨大なクリの木がすべて4.2メートル間隔で配置されている、屋台のような建物です。縄文時代の建築技術に驚きます。遠くのムラを眺めていたのかもしれませんし、祭りで大勢の男女が踊る舞台だったのかもしれません・・・縄文人は、どんな時にどんなふうにこの建物を使っていたのでしょうか・・・。
 
L1160018.JPG
▲復元された大型堀立建物

そして、次に目をみはるのは、大型の竪穴住居跡です。復元されたものは長さ32メートル、幅9.8メートルもあります。これらは、集会所、共同作業所、冬期間の共同家屋などとして使われていたという説があります。地区公民館のような場所で宴会が行われたりしたのでしょうか・・・。

L1160028.JPG
▲復元された大型の竪穴住居

また、遺跡からは、タイ(なかには1メートルもの大きさのものも!)やマグロ、ブリ、ヒラメなどの魚の骨も出土しているそうです。かつて集落は海岸線に隣接していたようで、釣り針やモリ等の骨の他にオールのような木棒も発見されており、丸木舟で漁に出ていたのでしょうか。
そして、出土品の目玉は、樹皮で編まれた高さ14センチ程度の「縄文ポシェット」です。中からクルミの実が出てきたとのことで、縄文人が遠足に出かけるときに肩にかけていたのかもしれませんね。
また、ヒスイやコハク、黒曜石の出土品からは、遠方との交流や交易がおこなわれていたこと、漆器の出土品からは5000年以上も前に漆芸職人がいたことが想像されます。
 

自然と共生し、豊かで洗練された縄文の暮らし

四季折々の海山の恵みを享受すると同時に、自分たちでも植物を栽培することで計画的で安定的な生活を営んだ縄文人。また、生活の道具を作るために漆芸や編み物を行い、機能だけでなく美しさも兼ね備えた高い技術を持っていました。さらに、ムラでは、他地域との交流を行うと同時に、まつりや死者のとむらいなども集団で行い、人々の結びつきを強めるような営みが行われていたようです。
このような、縄文人の暮らしは今の私たちの暮らしよりも、もしかしたら豊かだったかもしれませんし、私たちの暮らしが抱えている問題点の解決のヒントを教えてくれているような気もします。 

2015年2月25日 13:16