スタッフコラム

歴史がつなぐ生物多様性とアート

ボタニカルアーティストの金栄健介氏のお話を聞く機会があり、加賀藩の偉業が、現代にきちんと息づいていることを、再認識させられました。
2013年3月10日に開催された国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティングユニット「都市と生物多様性」研究プロジェクトシンポジウムでポスター展示した原稿の加筆再編集です。

(安江)


兼六園のなりたち

 兼六園は日本三名園の一つであり、年間150万人以上の観光客や県民が訪れる大名庭園です。延宝4年(1676年)に5代藩主前田綱紀が蓮池庭(れんちてい)を作り、その後変遷を経て1860年頃に現在のものにほぼ近い形になったと言われています。

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兼六園の霞ケ池と蓬莱島

ボタニカルアート

 この兼六園の植物をボタニカルアートとして描き続けているのが金栄健介(かなえけんすけ)氏です。氏が北陸中日新聞の連載で「愛らぶ兼六園」のコーナーをスタートしたのが2001年12月11日。以来2011年6月23日までの約10年間、毎週絵と文を連載しました。

 桜43点、椿27点、梅15点、これらを除く花木81点、草花76点ほか常緑樹や時代絵なども含め合計281点にのぼります。

 

ボタニカルアートとは

 ボタニカルアートとは植物の超細密画で、図鑑の図譜や、陶磁器のカップや皿のデザインなどにも使われています。

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コムサラキとムラサキシキブ

 まず、現地でのスケッチに約2~3時間、その後自宅で植物図鑑をみながら花のポイントをさぐります。スケッチをトレーシングペーパー上で修正しながら形をとって、これらをモンタージュのように組み合わせ、配置しながら絵の構図を決定します。その後ボタニカルアート専用の紙に鉛筆で描き水彩で着色するというプロセスです。

 

ボタニカルアートが表現する兼六園の生物多様性

 10年間、毎週兼六園の植物を描き続けた金栄氏は言います。

「兼六園が大変なところだと感じたのは椿の種類の豊富さに気づいた時だ。また、街のど真ん中にあるにも関わらずカタクリ、ショウジョウバカマ、イクバオウレン、キンラン、ムラサキゴケなど、兼六園以外から種子が飛んできたのか、あるいは植えたのか、雑草も含めていろいろな植物が自然発生している。兼六園という空間自体が生きていて毎年変わっていく。」

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唐子咲き椿

 

加賀藩の歴史を感じる不思議な縁

 金栄氏は、金沢美大を卒業後、陶磁器のデザイナーとして多治見の洋食器の会社に入り、その後、和陶器や九谷焼も手がけ、昭和44年頃、ニッコー(株)(白山市)に入社。デザインだけでなくプロダクトマネージャーとして商品企画に携ってきました。

 ニッコー(株)の創業は明治41年。旧藩主前田家や筆頭家老の本多家らの援助を受け、地元有力者によって長町に日本硬質陶器株式会社を設立されました。わが国に硬質陶器が渡来したのは明治初期であることから、硬質陶器の大量生産という産業の近代化への貢献に対しても大きな意義を有していると言えます。

 

自然と都市、生物多様性と文化多様性

 金栄氏のボタニカルアートは、加賀藩の庭園である兼六園が街中における生物多様性の宝庫であることを示す文化資料であると同時に、加賀藩の庇護を受けた産業を背景にした歴史的意味合いを有する大変貴重なアートであると言えるでしょう。

 金沢は山も近く、犀川と浅野川の二つの河川、そこから引き込まれまち中をめぐらす用水、そして日本海や河北潟など豊かな自然が内包された都市です。身近にある生物多様性は、ボタニカルアートのみならず、加賀友禅や蒔絵の図柄に取り込まれます。日常の暮らしの近くに題材があることが、日々の職人の育成にも欠かせません。

 生態系サービスには、こうした都市文化の多様性や、地場産業の発展にも大きく関与していると言えそうです。

 

紹介:ボタニカルアーティスト・山岳画家の金栄健介(かなえけんすけ)のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/kensuke_kanae

2013年3月24日 17:05